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1966年、車載無線機は真空管からトランジスタ方式へと移った頃、JMHC東京のJA1AQA渋谷氏が51MHz帯FMトランシーバーのキットを開発しました。 この頃、第1回JMHC全国大会(昭和41年(1966)8月20日、蒲郡)があり、この基板を会場へ持ち込み欲しい人を募ったところ多数の注文が集まりました。


これらキットの組み立ては市島徳一さん(JA1GNQ)*、渋谷昇三さん(JA1AQA/JA1FFY)*らが夜を徹して組み立て完成品を近藤栄一氏 (JA1AOU)*が配送していました。JMHCによるキットの頒布は基板のみと基板+パーツキットの2種類がありました。*故人


私は友人の村上昭さん(ex JA1DOU)*から基板+パーツキットを手に入れて、組み立ててみましたが、完成に至らず失敗しました。結局、測定器もない無手勝流による技術力の低さが失敗の原因と振り返っています。どうしてもモービルハムをやりたい一心で、発売されたばかりの福山電機工業の51MHz FM車載機を、秋葉原のハム月販にて分割払いで手に入れました。


1968年7月、JMHC東京会員名簿にJA1FUYが掲載されました。柴田俊生さん(JA1OS、JA1HX)の推薦で入会が叶い、この時、白地に赤い文字でJ.M.H.C. TOKYO、 黒色で JA1FUYを刻印したコールサインプレートをいただき、憧れのJMHCの一員となりました。同時にクルマのリアウインドウに貼り付ける白地に鮮やかな赤色が映えるJMHCのステッカーも併せて購入しました。


1959年10月、モービルハムのパイオニア集団MHCの誕生から56年、JMHC東京は東京オールドと改称して活動が続き、2015年、山田豊雄会長(JA1DWI)のSKと高齢化に伴いグループの解散が横瀬薫氏(JA1AT)から発表されました。モービルハムの先駆者集団JMHCが歴史の表舞台から退場しました。(JA1FUY/NV1J) 2023/04/24





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1959年10月、JA1YF/石川源光さん(SK)、JA1OS/柴田俊生さん(SK),JA1AC/村井洪さん(SK)らの音頭によりMHC「モービルハムクラブ」が結成されました。51MHz帯FMモードを使った本格的なモービルハム・グループの登場です。


当時の車載機はRT-70、RT-66、67、68、PRC 6~10、BC-1000、BC-1335、VRC-2、FRC‐20など米軍の放出品の転用が主流で、特にRT-70は人気がありました。出力は0.5Wの小出力なので送信管2E24、6146、829Bなどでブースターを製作して、DC/DCコンバーターやバイブレーター、ロータリーコンバーターなどを装備しました。


1961年1月のMHC正会員は43局、JA1AC村井さんらJA1AI稲葉さん、JA1BI山田さん(江本アンテナ)、JA1MP長谷川さん(八重洲無線)、JA1OS柴田さんら錚々たる顔ぶれがそろっているグループでした。


1965年、出版社に勤務していたJA1FUYがJA1OS柴田さんと懇意になり、MOBILE ham call book 1969を見せられて「会員のコールブックを作ってもらえないか?」と持ち掛けられて、広告料で製作費を賄い無料で各地のJMHCに配るアイデアが浮かび、その結果、「MOBILE HAM CALL BOOK 1970」が完成しました。


表紙は大村崑さん(ex JH3AHQ)が飾り、表紙2:極東電子、表紙3:八重洲無線、表紙4:トリオが出稿し、東京・大阪の有力販売店に協力していただきました。B6判、151頁、コールサイン・名前・勤務先・電話番号を網羅し、全国JMHC 37クラブを掲載しました。その後、1971年版、1972-1973年版を続けて発行、無料で配布されました。

(JA1FUY/NV1J) 2023/04/17



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「デイトンハムベンション2005」の前夜、Let’s get together @ Dayton (デイトンを一緒に!) のお仲間30名余が市内のイタリア料理店に集まりました。参加者のほとんどの名札に米国のコールサインが記されて、日本のコールサインのみは私を含めて少数派でした。それも一目でバニティコールサインとわかる上級者のコールサインがまぶしく、いつかFCC試験に挑戦してみたいと思いました。

因みに名札(Name Plate)は板状のプラスティックまたは紙に名前を表示したもので、アマチュア無線界ではさらにコールサインを加えて、コールサインプレート(Callsign Plate)、あるいはネームバッジ(Name Badges)、コールサインバッジ(Callsign Badges)と呼びます。


写真の上段JA1FUYはARRL(American Radio Relay League)のライフメンバー(Life Member)のコールサインプレートです。ARRLライフメンバーの友人がコールサインプレートを作成した時に、私(JA1FUY)の分も一緒に作ってくれたもので、私はライフメンバーではありません。ただQSTの購読のために3年ごとに会費を振り込みARRLの会員となっていますので、このコールサインプレートを無駄にすることなく使っております。

写真の下段に示すNV1Jコールサインプレートは、ハムンションに出店していたThe SingMan-NV5Aにて作った一枚です。


2005年11月3日、ARRL/VEC Tokyo VE TeamでFCCの試験を受けました。JR巣鴨駅から国道17号を10分ほど歩くととげぬき地蔵で有名な高岩寺があり、隣接する共同計画ビル8階のJARDハム教室が試験会場でした。


当時はモールス・コードの試験があり、約5分間の試験が行われました。書き取った受信文を見ながら答えを答案用紙に書き、手を上げてVEに答案を渡して判定を待ちます。しばらくして「合格」と告げられエレメント2へ、そしてエレメント3へ進みGENERAL級に合格してKE7FSSに。翌2006年3月4日、VEC TokyoにてEXTRA級を受けて、バニティコールサインのNV1Jとなりました。


以上、コールサインプレートのエピソードを披露しました。

(JA1FUY/NV1J) 2023/04/08)



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