ある日、職場へ一本の電話が入りました。「BA1CYの周海嬰です。上海のオールドタイマーのBA4AB沈さんから紹介されました。」私(JA1FUY)と笠原さん(元JARL国際課長)JA1CLN(SK)は縁があってオールドタイマーの集まり上海電子学会BY4AOMの海外会員に推挙されていましたから代表のBA4AB(ex C1MK)沈明鋼さんの紹介なら即座に会うことにしました。ただ、この時はまだ魯迅の息子とは知らなかったのですから・・・。
周海嬰さんが来日されるとメディアが放っておきません。"魯迅の一人息子"のブランドはかなりなもので、周海嬰さんは長女の寧さん(東京都武蔵野市在住)が週刊誌のインタビュー記事に登場することがたびたびありました。新橋の阪急交通社に勤めていた同僚の男性と結婚し、双子の女子を設けました。この時、周海嬰、許広平夫妻が来日した武蔵野市の娘・寧さん宅へ滞在されていました。
周海嬰さんは1929年9月に上海で生まれた。北京大学物理学科で無線工学を学び、CRSA(中国ラジオスポーツ協会)の顧問を歴任しました。1940年代開局のオールドタイマーとして中国でもっとも有名なアマチュア無線家として知られています。中国人民政治協商会議全国委員会委員、そして中国国家広播電影電視総局(放送・映画・テレビなどメディアを統括する機関)の幹部を務めた。来日時にクルマのキャブレーター洗浄剤を探しておられましたので調達のお手伝いをしました。早くから自家用車を持っておられましたので経済発展の著しい今と違い特別なお立場の人という印象でした。
中国を代表する文豪、魯迅(1881-1936)の一人息子、周海嬰(Zhou Hai ying)ジョウハイインさんが自他共に認めるアマチュア無線好きと中国で広く知られています。BA1CYはオールドタイマーを代表する局としてBA・BYネット(14.180MHz)でアクティブでした。著書に「魯迅と私の70年」などがあります。

魯迅(ろじん)は"阿Q正伝"や"狂人日記" など改革を意識した多数の短編小説を発表して、暗黒時代の中国の革命家達を勇気付け尊敬を集めています。上海の虹口公園内に魯迅の墓と共に出身地の紹興の民家を模した簡素な2階建ての魯迅記念館があり、直筆の原稿や遺品などを展示しています。墓前には本を手にした魯迅の坐像を見ることができ、北京の故居(元の住まい)が記念館として多くの来場者を集めていると周海嬰さんから聞きました。周さんは「この記念館の一隅をアマチュア無線のクラブ局にしたい」と希望しながら、いまだに許可が下りないと嘆いておられました。

日本滞在中、アマチュア無線の操作・運用ができないことから周海嬰さんをお慰めするために、アマチュア無線の友人たちは静岡県の伊東温泉にお招きしました。当時、JARL国際課長を退いて悠悠自適の笠原 豊さん(ex JA1CLN)にも加わっていただきました。伊東温泉には無線機材を持参してJA1ZNG(当時、モービルハム・アマチュア無線クラブ、現、QTC-JAPANハムクラブ)を移動、集まった仲間でCWやSSB、スロースキャンテレビ(SSTV)を運用しました。周さんは傍で羨ましそうに無線操作を眺めているばかりでした。日本の法律では無線の運用ができないのでがまんして頂くしかありません。日本の有資格者が中国を訪問して所定の手続きを済ませるとクラブ局の運用ができました。中国人有資格者が日本で無線操作ができないのは片手落ち、肩身の狭い思いに駆られました。



上海電子学会の代表・沈明綱さん(BA4AB、ex C1MK)から笠原さんと私(JA1FUY)を海外会員に推挙すると提案があり、満場一致で決定された光景を昨日のように思い出します。1991年、BZ4AA、BZ4AC、BZ4AD、BZ4CA、BZ4CH・・・が参加する中、個人局が蘇る前夜の歴史的なミーティングでもありました。しばらくしてプリフィックスがBZからBAに変わり本格的な個人局の誕生となりました。沈明綱さん(BA4AB)と許毓嘉さん(BA4CH)らBY4AOMの幹部が北京の周海嬰さんと連携して、個人局の開設を当局へ強く推進しておられたと後になって知ることとなります。


2011年4月7日午前5時36分、中国の文豪・魯迅の息子である周海嬰さんが、入院先の北京の病院で永眠しました。享年81歳。
(JA1FUY/NV1J)2025/02/27
02/14/2025 ARRL NEWS
2025年2月12日、ウクライナのキエフにあるRigExpertの管理事務所がロシアの弾道ミサイルによって破壊されました。すべての従業員は無事であると報告されています。
RigExpertは、アンテナおよびケーブルアナライザーの大手メーカーであり、関係者は、できるだけ早く運用を回復することを約束していると述べました。
「私たちの最優先事項は、チームの安全と事業の継続性です」と最高経営責任者(CEO)のアショット・アンディーブは述べています。「管理事務所が廃墟と化す中でも、生産施設は生き残り、お客様やパートナーにサービスを提供し続けることができました。」
同社は、遅延を最小限に抑え、カスタマーサポート業務を維持しながらコミットメントを果たすために取り組んでいます。

Rig Expertについて Rig Expert Ukraine Ltdは2004年にウクライナの首都キエフで創設されました。同社はUSB接続デジモード・インターフェースRigExpert SDを世界で最初にお客様に提供しました。現在はUSBデジモード・インターフェースおよびハム・業務用途のアンテナアナライザーのリーダー的会社になっています。RigExpert はウクライナとアメリカでは登録商標です。当社の使命はハム・業務用途における通信・検査・計測機器を提供することです。 同社は多くの機種(RigExpert AA-35 ZOOM…AA-1400)のポータブル・アンテナ・アナライザー製造・販売をしており、周波数範囲は100kHzから1.4GHzまでをカバーしています。また、 2.4 GHz ISMバンド用には(RigExpert IT-24、日本では需要が殆ど無く取扱ってません) を用意しています。
USB 接続のデジモード・インターフェースとして、 RigExpert TI-8およびTI-5000があり、電話・CW・デジモードに利用できます。PCとはWiFi接続のRigExpert WTI-1(日本の電波法上未承認品につき取扱ってません)を使うとネット経由のリモート運用が可能になります。

(JA1FUY/NV1J) 2025/02/22
お定まりのラジオ少年からスタートして、気が付いてみたらもう半世紀近くもCQ、CQと叫んできた計算になります。今のようにハイテクの無線機がなかった時代にはアルミの板を曲げてケースを作り、それに部品を取り付けるといった、」すべて自作の送信機、受信機、そして銅線を伸ばしたアンテナだけでしたが、それでも知らない土地までトイレの電球をともすくらいの小さな電力で自分の電波が届くことに最高の喜びを感じたものです。
(以上は電通・社友報 今月の多士多才 アマチュア無線技士よりハムライフ半世紀から冒頭の一部抜粋)
松本さんの履歴は多彩を極める。昭和13年(1938)3月5日生まれ、東京都出身、昭和30年〈1955〉JA1AYC開局、昭和34年〈1959〉通訳案内業試験に合格、昭和36年(1961)早稲田大学政経学部卒業、昭和36年(1961)株式会社電通入社。平成9年(1997)インターアドマーク(在ジャカルタ)出向 総支配人。一方、JARL評議員、支部長、理事、常任理事を歴任したほか、BQ9P、プラタス島DXぺディション(2001年3月 6日~15日)に参加、その後KH0/JA1AYCを運用するなど精力的に活動しました。

松本正雄さん(2003年6月27日 SK)は、2004年12月3日、読売新聞東京本社の大会議室で開かれた第 78 回よみうりアワード表彰式で「世界一万局よみうり アワード」を受賞されました。(代理出席 JA1FUY、同伴・JJ1HKS)
よみうりアワード事務局から夫人宛にメッセージが寄せられました。 JA1AYC 受賞 世界一万局よみうりアワード「証」 世界第60号 『JA1AYC松本正雄殿におかれましては、 表彰式を待たずに、ご逝去されたこと、改めてお悔やみ申し上げるとともに、ご存命中に開催に至らなかったことにつきまして、まことに残念であり、申し訳なく思います。ご都合が許せば、ぜひご出席いただきたく、ここにご案内申し上げる次第です。』

松本さんはCWの名手としても知られ、友人とおしゃべりしながら指は間断なく動き続け、交信を次々とこなして周りの人を驚かせる一幕も。V/UHFでのラグチューも好み毎日一交信をノルマとし。モービル運用もこよなく愛する好奇心の旺盛な方であり多才なアマチュア無線家でありましたが、急な病の発症により夭折しました。


松本さんの著作は「アマチュア無線マニュアル」電波新聞社刊、「QSOテクニック 常識のウソ、ホント」」「リグ談義 常識のウソ、ホント」電波実験社刊、月刊モービルハムに「Discover Ham Life」を終刊まで連載しました。なお、同名のWebサイト記事JA1AYCの「Discover Ham Life」を併せてご覧ください。
(JA1FUY/NV1J)2025/02/10

