氏の高校時代に嵩じたアマチュア無線熱から無線技術者の道に進まれ、「日本で最初に人工衛星を設計した男」となり、「日本初の宇宙専門技術士」として日本の宇宙開発を牽引してこられました。― 技術士 2011.7 ―のPE INTERVIEWの記事が小野英男さんの人生を一言で表していますので紹介しました。
小野英男さんは2020年10月26日、87歳の人生に幕を下ろしました。1933年朝鮮全羅南道(韓国)に生まれ、黄海道(現・北線)で育った。1964年国民学校(小学校)6年の夏に敗戦。父母の郷里の神奈川県に住み着いた。中一の時に叔父から壊れたラジオを貰い、参考本を立ち読みして勉強して修理に成功し自信を持った。大学時代は高級機を作れる腕前になり、ラジオ雑誌の原稿料で稼いだ。
1951年、日本のアマチュア無線許可。翌年電通大合格後6月に受験して第2級アマチュア無線技士に合格。11月に予備免許・開局。その後、「第一級無線技術士」を取得。1956年電通大卒業。1957年NEC入社、研究所に配属。1965年以降、宇宙研試験衛星「たんせい」から科学衛星4号まで設計。1990年、科学技術庁航空宇宙技術研究所の実験衛星「おりづる」。プロジェクトレベル11機、機数17機、総て成功。
1984年、我が国初の「宇宙」技術士(航空・宇宙部門)資格取得。1993年、定年退職。以後日本アマチュア無線連盟技術研究所長、東京工科大学工学部講師等を歴任。2006年、ガンですべて引退。キャッチフレーズは「日本で最初に衛星を開発した男」。趣味はアマチュア無線とバドミントン。以上「星を作った男~昭和の衛星屋さん~」から抜粋。
(JA1FUY/NV1J) 2020/12/02
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