忘れえぬ人々(15)海外運用に情熱を傾けた JA1UT 林 義雄氏
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更新日:5 日前
JA1UT林義雄さんは1929年東京の品川区に生まれ、1949年東京工業大学(現・東京科学大学)電気工学科に入学するが、半年ほど休学して横浜山手(外国人居留地)の米軍将校住宅に語学留学を狙いハウスボーイとして住み込む大胆な行動にでる。ある時、1955年制作のフランス映画「空と海の間に」を観て鳥肌を立つほど感動したという。1954年3月アマチュア無線技士の免許を取得していたので即座に免許申請してJA1UTを開局、アマチュア無線の世界に踏み入れた。
1957年、松下電器に入社、1964年松下通信工業(株)自動車機器事業部海外課長になり世界中を飛び回った。東南アジア・中近東・南米・欧州・中国で車の音響部品を作る工場の建設企画に携わると共に、現地の人たちと協力して工場経営を行った。
1986年に松下電器を定年退職した後は、アマチュア無線家として活躍した。1988年、JARL(社団法人日本アマチュア無線連盟)の理事に就任し、80歳になるまで20年間関東地方本部長として活躍されたのは広く知られている。中でも月刊「モービルハム」にて「JA1UTの海外運用入門」を連載する傍ら自ら海外運用を実践し、ラオスやミャンマー・パキスタン・などでアマチュア無線の門戸を開いた。


69歳の時に特定非営利法人「国際アマチュア無線ボランティアズ」IARVを立ち上げ理事長に就任、中近東・東南アジア・アフリカ諸国などの通信インフラの脆弱な地域の人たちのために仲間と共に緊急連絡用無線連絡網の建設を支援した。しかし、携帯電話網が世界各地に張り巡らせるにつれてIARVは役目を終え、2019年5月に解散した。96歳

(2026/04/06)




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