星が瞬く夜

よみもの

2度の受験で栄冠を勝ち取る

1アマ高齢受験記

Kazuaki Yada  ex JI1FOL*

■この歳になってなぜ1アマに挑戦するのか?

家族曰く、何故いまさら1アマ国試受けるの?それはそこに山があるからだ!と同じ、そこに最高位の1アマが有るからだ。そ
れにやはり HAM を始めた以上は1アマを取得しなくては、との思い。 1932年生まれ、2アマを取得して20年、もはや脳は20歳台の半分位の能力か?
まして退職後、8年も経っていて実戦とはほど遠く、公式など殆ど忘れてしまっていてはたして合格の可能性はあるのか?でも時間を掛けて努力すれば必ず合格する。脳は使わないとますます衰える、と自分に言い聞かせて受けてみました。

■まずは電信受信試験

CW は日常やっていましたので自信はありましたが、それでも毎日テープを聞いて耳慣らしは欠かしませんでした。それに書くことが非常に大事であること、日常の QSO では別に気にしないのですが、いざ試験と言うと訳が違います。書き方は重要なポイントです。絶対大文字は使わないこと!
英字一般文ですから長い単語が必ず入っていますので、連続書きが出来るように慣れる、例えば t i j のような時は横棒や点は書かずにその単語が終わって次の単語に移る時の1間隔か、その他で余裕のできた時に書くこと。
必ずその時がありますから。自信が無かったらその字は書かない! 3分ですから30秒ぐらい書かないで深呼吸しても未だ大丈夫。 わたしも長い単語を一つ、全く書きませんでした。

大分書かなくても意外と合格点に入りますから。間違えそうなら書かないこと、自信が無かったら書かない、これが鉄則ですね。それから語学、特に英語力のある人は絶対有利です、なぜなら文の意味が解るので先が読めますから。

■1 回目は見事不合格?!

昨年の8月期に1回目を受けましたが、学科は見事不合格!電信のみ合格でした。3年有効ですから、3年以内に又学科を受ければいいとその時は思いましたが、3年はこの歳になると今まで以上に合格は苦しくなること間違いない、そこで続けて12月期も受けることに。電波法規は問題集を3回も読んでいればほぼ90点は取れますので合格。

■やはり1番の難関は無線工学

先輩諸氏は、なに3回問題集を丸暗記すれば大丈夫!とよく言われますが、それは全て理解した上でのこと、数値が違ったらお手上げです。8月期はそれでダメでした。昨年の新しい問題が4月期に12問、8月期に9問、12月期に8問、出題されたとか。例えば12月期に8問全部間違えて40点減ですからギリギリで合格ライン、150点満点、
105点合格ですから。

■公式の使い方から勉強し直す

そこで今回は基本から全部理解できなくてはと思い無線工学の本を追加購入し公式の使い方から勉強し直しました。また、分数の展開とか、すっかり忘れているので高3の数学の本も参考にしました。これが一番参考になりました。しかし一通り終わってみると、もう前のほうを思い出さない!
そこで今回は絶対合格!とし一日4時間、2ヶ月、試験の前日まで、無線工学を、土日に軽く法規にとスケジュールを決め、試験まで集中力を切らさないようにしました。パターンはまさに学生の受験と同じようにしました。それで相当に自信がつきました。若い人ならそこまでしなくても大丈夫でしょうが、なかなか歳をとると集中力が保てません。

■晴海会場の合格率"24%"

試験当日、会場は学科だけの人が70人ほど、開始前に試験官が余談として合格率は全国平均"17%"、晴海の会場の合格率"24%"との話がありましたが、大分差のあるのは何故だか説明はありません。最近の問題は論理回路、通信衛星関係、は必ず出るようですがたまに真空管もでています。1954~7年と比べてみても難易度は代わりません。むしろ問題数が多い分だけ大変。先輩諸氏に叱られるかな?公式を複数使う問題がありますので要注意です。

■気分を切り替えるのにトイレに!

問題はやはり解からないのが何問かあり、解答用紙を出していい時間になっても解かりません。そこで気分を切り替えるのにトイレに行かしてもらいました。もちろん、試験官が付いて来ます。これも効果がありました。もちろん、本当にトイレに行きたかったのですが、席に帰って問題を見直して見て"なんだあの公式だ!"と思い出した問題が2問あり、10点ゲット!これは大きいです。これで余裕ができました。でも全部解答できてからもチェックを丹念に時間まで出しません。
これも大事です。会場を出てホッとしましたが、やはり歳、相応の努力と要領も必要でした。

■次の目標はパワーUP

従事者免許証は平成14年1月25日発給されました。次の目標はパワーUP です。しかしこれは都会では非常に困難ですが、一つの目標にと思っています。SSTV でアメリカの壁を破り、カリブ、南米を制覇するために。皆さん、HAM である以上、1アマの資格まで取得すべきだと思います。パワーUP ばかりでなく、世界中何処に行っても問題なく通用するのは1アマのみです。また今後の運用規則、その他いろいろな規制の変更があっても心配無いのでは?

2アマになると国によっては制約されてしまいます。特に海外での運用もこれからは今まで以上に多くなるでしょう。海外旅行、出張、DXペディション等若い人には、そのような機会がますます多くなると思います。

高齢者の方も海外旅行方々、運用など制約なしでできるのではないでしょうか?
若い人も高齢者も是非がんばって第一級アマチュア無線技士の資格取得に挑戦してみてください。落ちて元々、挑戦するだけでも意義ありです。 一回で合格などと考えずにとにかく受けて見ることです。

*ex JI1FOL 矢田和明さんは2001年10月に本稿を発表。2016年9月7日、逝去されました。

 

Maritime Mobile

法律から見た「海上の移動運用とは?」

by Kenji Nakayama JI5RMU

 ≪マリタイム・モービルの数々の疑問に答えて≫

Maritime Mobile とは、日本語に直訳すれば「海上の移動」と言う意味です。
 

アマチュア無線の移動局の形態は、陸上、海上、上空の3種類があり、相手局に移動の形態を知らしめるために(地域、場所などを知らしめるためではありません)コールサインの後に付して、陸上移動局の場合はJI5RMU/1(関東電波監理局(当時、現・関東綜合通信局)管内で運用)、海上移動局の場合はJI5RMU/MM、上空移動局の場合はJI5RMU/AMと使用するように決められています。
 

Maritime Mobileは海上移動局として使用される呼び方ですが、その他の呼び方には、ディズニーのキャラクターであるミッキーマウスとか、往年のビッグスターマリリン・モンローとコールされるOMさんもいます。  これらはMMの愛称であり、マリタイムモービルよりミッキーマウスの方がなんとなく可愛いし、言いやすいからで、ミッキーのM、マウスのM、MMとコールしているし、移動の形態を知らしめている訳ですから、なんら法的に問題はありません。
 

JI5RMU(筆者):日新船舶㈱ 第十一すみせ丸・船長(当時

解釈の矛盾

電波法令集には確答する条文を見付けることができませんでした。 出版されている本によっては、著者によって見解がばらばらでした。 

例えば、著者、井原昇氏の「DXアニュアル」によれば、船舶に設置したアマチュア無線局は、それが公海上にあることを示すために"Maritime Mobile"(マリタイム・モービル)をコールサインのあとにつけます。 また東京湾の真ん中からであってもMaritime Mobileではなく、Portableなのです。

それではどんな状態のときにMaritime Mobileを使うかというと、船舶が"公海上"になければならないというのが国際的な通例です。いずれにしてもその国の国内法が適用される範囲は公海ではありません。その範囲内で運用するときはMaritime Mobileではなく、単にポータブルです。(原文のまま引用)

著者、野口幸雄氏の「現代アマチュア無線 運用基本ルール」には、移動先が海上の場合。陸上に無線設備の常置場所がある局が、船、ヨット、モーター・ボートなどの海上の移動体の上で運用するときは「モービル」の代わりに「マリタイム・モービル」(電信の場合は/MM)を、また、海上には地域番号がありませんから、電話の場合は運用の位置を地域番号の代わりに送信しましょう。
 

運用位置は、緯度、経度で表せば一番正確ですが、日本近海の場合には○○半島沖合などと、相手局がビーム・アンテナをむける方向がわかる程度のことでよいでしょう。
 

たとえば、JA1MKSが瀬戸内海を航行している関西汽船のデッキからハンディー・トランシーバで電話により「CQ呼出」をする場合は、「CQ CQ CQこちらはJA1MKSマリタイム・モービル瀬戸内海の小豆島の沖合です どうぞ」と送信します。  

この「マリタイム・モービル(Maritime Mobile)」は海上移動ということですから、河川、湖、沼などの船上に移動して電波を出すようなときは、移動の形態は「マリタイム・モービル」ではなく「ポータブル」になりますから注意してください。また、船、ヨット、モーター・ボートなどが港に、とも綱でつなぎとめられている状態のときも「マリタイム・モービル」ではなく「ポータブル」です。(原文のまま引用)

同じ出版社で出版された本ですが、これだけの違いがあります。また「国際的な通例」と言うならば、本を著作されるほどの方達が知らぬはずがありません。  

これは法令集に確答する条文が見当たらなかったために、著者の個人的な見解によって書かれたからではないかと想像致しております。 本の力は凄いものです。たとえ本の書かれたことが個人的な見解であっても、それが法律のように誤解されることがあるからです。 しかし法的に確答するものがないはずはありません。

JI5RMU 第十一すみせ丸・中山船長(当時)

オペレートのJI5RMU/MM

法律に基づいた解釈

自家用車が急激に増えてきた昭和30年頃、モービルハムも多くなってきた為か、電波監理局長から地方電波監理局長宛に、通達が出されました

郵波陸 第261号)昭和30年2月9月
地方電波監理局長宛、電波監理局長発信

『アマチュア局の取扱について』  
アマチュア局に関する規則類の改正については、2月1日施行をもって別途公布されたが、その取扱については、次の点に留意の上よろしく取り計らわれたい。

4 移動するアマチュア局の運用にあたっては、できるかぎり通報の冒頭において、次の例のように移動先を示す地域番号等を送出するものとすること。

(1)陸上において運用する場合 JA1AA/1(JA1AA局が関東電波監理管内で運用する場合を示す。) JA1AA/3(JA1AA局が近畿電波監理局管内で運用する場合を示す。)

(2)海上において運用する場合 JA1AA/MM

(3)上空において運用する場合 JA1AA/AM

(編注)
(郵波陸 第261号)昭和30年2月9月 地方電波監理局長宛、電波監理局長発信 は、 『本件対象文書は、現在、効力を失っております』 (総基移第216号,平成19年7月12日) 『特段別に定める規定はございませんので、電波法及び無線局運用規則の規 定に従って適切に運用してください。』

(同,平成19年7月20日) との総務省からの回答を得ています。

詳しくはこちら↓をご参照下さい。
http://motobayashi.net/callsign/untold/designator.html

つまり、 オリジナルの記事が書かれた 1999年時点では まだ生きていたかも しれませんが、 「いま」はなくなって(失効して)います。(TNX JJ1WTL ) 2014年1月18日追加

以上のように移動局の運用方法が明記されています。  

これは電波を発信している場所が陸上の移動局からか海上の移動局または上空の移動局からなのか(移動局の形態)識別するために出された通達です。

 /エリアNo.は陸上移動局のみ使用されると明記されています。
 
 /1、/MM、/AMなどの後に~移動、~沖または位置を付けるのは相手局がビームアンテナを向けやすいようにするためです。
 
従って、MMが領海内であろうが東京湾であろうがまた、停泊中であろうが海上において運用するにあたっては、Maritime Mobileを使用しなければなりません。
 
あくまでも船舶にアンテナを固定してQRVしている海上移動局はドックなどで船を陸上に揚げない限り、Portable(陸上移動)にはなれないのです。
 
海上(海洋)とは海事法令集における解釈によれば、海洋及びこれにつながる航洋船が航行できる水域。と言うことで、河川、運河も海洋から航洋船が航行できる水域であればあてはまります。河川、運河などは淡水の場所が多く、海上ではないと思われがちで、誤解されやすいので注意が必要です。ただし、琵琶湖など海洋から切り放された湖などはこれにあてはまりません。
 
船舶を無線設備の常置場所にしたときは(申請上、非常に難しくないに等しい)船舶の船籍港が常置場所になります。船籍港は船舶国籍証書などに記載されている港で、船の船尾にも記載されています。岸壁、係船ブイなどに係留中の船舶にはDead ShipとWorking Shipがあり、デッドシップとは何等かの事由により運行を停止し長期間動かないまたは動けない状態の船舶で、機関、舵及びその他の設備の故障、検査証書類の期限切れ、 売船、廃船などに因る係船、必要な運行要員のいない船、緊急時など即座に移動できない船舟類を言い、『船舶職員法第二条(定義)の二、係留船その他運輸省令で定める船舶』の係留船にあてはまり、船舶として扱われません。

下記の第六条の三(携帯局)になります。(陸上移動局と混同しないこと)

 

この場合はMaritime Mobileではなく、Portable(携帯局)を使います。

 

また、港湾及び河川のみを航行区域とする船舶も船舶には入りません。 

 

ワーキングシップとは稼動中の船舶で荷物、旅客などの積み降ろしを行うために停泊した船舶で、陸上移動局が荷物、旅客などの積み降ろしに停車したのと同じです。係留船と岸壁に仕事で着岸停泊した船舶とは、同じ、係留船と一般には言われていますが法的な係留船とは個別のもので(上記、法第二の二の船以外は係留とは言いません)、全く別であることに注意してください。

 

陸上移動局が停車中でもPortableを使用するように(よく半固定などと言われていますが法的根拠はありません。相手局に状況を把握してもらうために便宜上、個人の意思によって送信している)、海上において運用する場合は、航海中、停泊中を問わず、Maritime Mobileを使用し、移動の形態を通報しなければなりません。

 

ちなみに、領海の幅について、国連海洋法条約には「いずれの国も、この条約の定めるところにより決定される基線から測定して、12海里を超えない範囲でその領海の幅を定める権利を有する。」また、「この条約に別段の定めがある場合を除くほか、領海の幅を測定するため通常の基線は、沿岸国が公認する大縮尺海図に記載されている海岸の低潮線とする。」という規定があります。

 

日本船籍の船舶が外国の港に入港した時の国境線はShipsideになります。(船内は日本国です)。特にロシア、中国、北朝鮮などに入港着岸した時、船の出入り口の陸上側で警備にあたる兵士は国境警備隊が努めます。

日本国内にある外国領事館などと同じようなもので、その国の国内法が全て適用されるものではありません。

 無線局(放送局を除く。)の開設の根本的基準』 (アマチュア局)第六条の三(携帯局)

 

一、(3)船舶以外の移動体であって海上を航行または浮遊するもの、または航空機以外の移動体であって上空を航行または飛翔するものにおいて運用するものであること。

 

二、その局の移動範囲は、海上において運用する場合は日本周辺の海域、上空において運用する場合は、日本領土及び日本周辺の海域の上空に限るものであること。

 

となっております。 

 

船舶以外の及び航空機以外のと言う意味は海上においては、前記した船舶職員法第二条の(二)のほか、(一)櫓(ろ)、櫂(かい)のみをもって運転する舟、港湾、河川のみを航行する船舶を言いま。(詳しくは海事六法など、関係法規を参照してください。電波法令集Ⅱの第八編付録にも一部分記載されています)上空においては気球などを意味します。

 

移動局と携帯局は全く、個別のもので、混同しないよう注意してください。

 

法的な条文には必ず、除外すべきものがあれば、(~を除く)とか(~以外は)と明記されています。  

 

もし/MMが領海内または港湾内で、/地域番号を送出せよと言うのであれば、条文には、海上において運用する場合(領海内を除く)または(停泊中は除く)と明記されていることでしょう。

 

いかなる法律も、慣習とか通例など、曖昧なものはありません。必ず法律文として明記されているものです。電波法及び海事六法などにおいても根本はジュネーブ国際協定などの国際法のルールに添って作られた国内法です。

 

電波法と言えども日本国憲法、海事六法及びその他の諸法が関係しており、電波法だけで解釈をしようとすれば、誤解を生じる恐れが多々あります。

 

以上のように海上移動局の解釈が電波法のみならず、他の法規分野に至り、説明などがあまりにも面倒なために、今まで海上移動局の局長が法的解釈なども充分承知していながらも、海上移動局に付いての誤報及び誤解などを辯明するに至らなかったと言う経緯があります。

 

趣味の世界のアマチュア無線のことですから、あまり神経質にならず、コールの仕方など云々よりいかに会話を楽しむかと言うことが我々MMの局長の見解でした。諸先輩のご意見を参考にまだまだ勉強致したいと思いますので、今後ともご指導ご鞭撻のほどお願い申し上げます。

 

この文章の作成にあたり、JARL、船舶局および海上移動局の先輩諸氏の多大なご協力、ご助言を賜りましたことを、誌面をお借りして、厚く御礼申し上げます。

●参考文献
 
1)井原 昇  「DX MANUAL] CQ出版
2)野口幸雄 「現代アマチュア無線運用基本ルール」CQ出版
3)郵政省電波監理局長 発信 郵波陸 第261号
 「アマチュア無線の取り扱いについて」

4)郵政省 通信政策局・電気通信局・放送行政局 編集
 「電波法令集Ⅰ、Ⅱ」
5)運輸省監修 「現行 海事法令集」
 
モービルハム1999年1月号p.75~78 「法律から見た海上の移動運用とは?」(中山健次氏)を再編集しました。

(編注)文中「電波監理局」は総合通信局、「郵政省」は総務省に、運輸省は国土交通省に読み替えてください。
 
【マリタイムモービル】 Maritaime Mobile 
 マリンタイムモービルでなく「マリタイムモービル」が正しい表記、呼称です。

MMから交信中に多くの方から

「私は/MMとの交信は初めてです。マリタイムモービルとは何ですか」
「東京湾内ですから/1になるのではないですか?」
「/MMと/1の境界はどこになるのですか」
「停泊中は/MMではない!」
「仙台港停泊中はわかりました。行政区は何区ですか?」
「領海内は/エリアNo.ですよ」等々、色々な質問、指摘があります。
 その方達に反問致しますと、
「~さんから聞いた話では」
「~の本によれば」と言うお返事で、著名な方のお名前まで飛び出し、その方にお電話し法的根拠をお尋ね致しますと
「そのようなことは言っていません、どなたが言っているのですか?」
とのご返事で、こちらの法的解釈をご説明致しますと

 

「それで良いのではないですか」
と言って頂けます。今まで指摘頂いた方々には電波法第何条第何項の規定によると、法的根拠に基づいた明確なお答えを頂いたことがありません。仮に、領海内で/エリアNo.だったとすると、航海中の瀬戸内海、豊後水道、津軽海峡などは/4/5、/5/6、/7/8等の様にエリアNo.を送出するのでしょうか?ひどい方になると「自分の好きな方で良い」などと/MMに付いて指摘しておきながら無責任なことを言う方もおられます。  

どちらかの沿岸に添って航行すればよいのでしょうが船舶通航の安全上、中央を航行するときもあるわけで、海上に地域番号の線引きはありません。海上移動局をコールする場合において、「/MMの呼び掛け」が正しいとき/エリアNo.でコールしても、呼出局はミスコールと言うことで大した誤りではありません。しかし海上移動局が/エリアNo.を使用すれば重大な誤りです。常置場所の陸上局が/エリアNo.を言うのと同じようなことなのです。  

当局は多くの方達の色々な誤解及び疑問に、海上移動局の当事者として、皆さんに法的根拠に基づいたご説明をしなければならないと痛切に感じ、電波法令集(船舶には法定備品の一つとして最新の物を備えておかなければなりません)各出版物などの拝読及び地方電波監理局、JARLへの問い合わせなどを行いました。 その結果について申し上げます。

~書庫の中から~

菊谷秀雄 著「検見川無線の思い出」

自費出版 平成 2 年 (1990) 3 月発行

いきくにひこ 

1990 年のクリスマスにプレゼントとして、菊谷秀雄先生から頂 いた自費出版の本です。この本は菊谷先生が 90 歳のころか ら書き始めた自叙伝で、当時親しくしていた方々に贈呈され たようです。

菊谷先生は 90 歳になられたころから、自叙伝を執筆され、そ れは第1編から第 3 編まで構成されています。第 1 編はご家族のことをしたためられていたようですが、それは未公開のようで、 公開されているこの本の中にはその第 2 編と第 3 編が書かれ ています。

そして第 2 編には検見川送信所の所長として活躍された約 10 年間の記録で、それを第 1 章に検見川無線電信送信所の開局、第 2 章に無線電話機の開発、第 3 章に海軍軍備縮小記念放送、として纏められています。

「検見川無線の思い出」菊谷秀雄著
菊谷秀雄先生から頂 いた自費出版の本です

検見川送信所とは、現在の千葉県検見川町に、当時の逓信省が 海外との電報の送信施設として大正 12 年(1923)に、逓信省から提案された、対欧州、対外地用大無線局建設案が帝国議会で承認されて建設が始まったものです。 竣工したのは大正 15 年(1926)で、業務開始はこの年の 7 月 1 日 となっています。

菊谷先生が着任されたのは落成式の翌日だったと述懐されています。そしてそれまでの長波送信機はアレキサンダーソン長波発電機や電弧式発振機で、大いに妨害を与えていたのが、ここ検見川送信所の送信機は、当時最新型で英国マルコ二―社製の真空管式だったそうです。その一つは入力 50kW の送信機で波長が 8200m、そして第 2 装置は入力 15kW で波長 5500m を使っていたと書かれていました。そのほかに 2 つの日本製の中波の送信機が設備されていたそう です。

当時の日本での真空管技術はやっと受信用の真空管が作れたばかりだったそうです。そのような技術背景からマルコに―社の真空管式は、当時としては近代的であったのでしょう。当時は受信所と一体をなすため、岩槻受信所と共に整備され、電報の送受は、東京市麹町区大手町にあった東京中央電信局の通信所からの操作される、中央集中方式が初めて採用されて当時としては最新式の通信 システムだったそうです 。

初代所長・菊谷秀雄氏(きくたに・ひでお)氏
1899(明治32).5.5~1992(平成4)
東北帝国大学卒業後、逓信省に入省。
1926年(大正15年)4月の検見川送信所開局とともに、26歳で初代所長に着任。
逓信省退官後、芝浦工業大学教授に就任。
無線・電波・空中線に関する著書多数。
JA1BVS開局。
1992年(平成4年)没。享年92歳。

   ー検見川送信所を知る会HPより

この編の中で、私の視点から、菊谷先生は 2 つの大きな出来事を記録されていました。 その一つは、当時長波全盛の時代に、菊谷先生のグループが自力で短波の無線電話送信機を設計 製作して J1AA のコールサインで「こちらは J1AA TOKYO JAPAN」とアナウンスをして、日本民謡等のレ コード放送をしたのでテスト送信として続けていたのだそうです。そうしたら世界各国から受信レポートが来 たので QSL カードの発行の為に印刷から発行投函まで自費で行ったので大変な出費となったと書いてお られました。

開局当初の局舎(検見川送信所職員OB提供) 検見川送信所を知る会HPより

このJ1AAは検見川送信所の自作、純国産の短波送信機から発信されたもので、幻のコールサインとな ったようです。因みに、菊谷先生は JA1BVS のコールサインで戦後ライセンスを取得されています。 昭和 2 年(1927)頃は、丁度長波の大電力無線電話が、ロンドンとカナダ、ロンドンとアメリカが開通した時代でしたが、同時に当時のアマチュア無線家たちは短波を使った小電力無線電話で交信していた時代でした。

またこの年の 5 月にはベルリンのナウエン送信所(今でもここにこの送信所があります、筆者注)からの電波は20.02MHzを使って岩槻受信所で 1 週間にわたって受信したら、昼間だけは明瞭に受信できたと いう結果が出たとのことです。このことから検見川送信所では 15.76MHzのビームアンテナを建設して 6 月 20 日から通話試験を開始して、ベルリンと東京の通話が大成功だったと書かれています。

 

二つ目の出来事は、海軍軍備縮小記念放送です。これは昭和 5 年(1930)の 10 月 27 日に日、英、 米間で締結された海軍軍備縮小条約が締結されたのを記念に3 国間で交換放送をやろうという計画が持ち上がり、当時の逓信省上層部からの指令で急遽短波を使った電話回線を設備せよとの指示が 下されました。それは交換放送の 1 週間前と言う無茶な計画でした。それでも菊谷先生を長とす る検見川送信所は一丸となって、アンテナの設計から建設まで完了させ、当時の英国マクドナルド首 相、米国のフーバー大統領、それに日本の浜口首相が演説して NHK、JOAK は愛宕山の送信所から 放送され成功だったと記録されています。使用した周波数は7.88MHz だったそうです。

アメリカ側は当時の日本の技術では無理だろうとの見方でしたが、J1AA の短波電話無線機は問題なくこの難関を打ち破りました。当時はまだまだ未知の世界であった短波帯に挑戦して、40 メーターバンドでロンドンとニューヨークそれに東京を結ぶ 3 極交信を成功させた事実は歴史に残ることでした。

そして菊谷先生はこの項を終わるにあたり、次のような言葉で結ばれています。
「生き残った私が 90 の齢を越して、思い出を書いている。何時かは死を迎える身でも、この思い出がいつ までも、今は無き検見川無線送信所を語ってくれるだろう」と。

第 3 編は思い出の赤毛布(アカゲットと読みます)と題してアメリカ出張を命ぜられて横浜からアメリカの客船「プレジデントフーバー号」でサンフランシスコに下船するまでの船内での、ただ一人の日本人として英語だけの生活が面白く描かれています。
 
菊谷先生は昭和 8 年(1933)12 月 23 日皇太子殿下の誕生日(現在の上皇陛下、筆者注)に上司 に呼ばれて米国欧州出張命令を受けたと書かれています。その理由は「日本と米国間で、いよいよ短波の無線電話を開通することに決まったから、米国の装置を調べてくるように。出発は 12 月 31 日正午横 浜港出帆の日本の貨客船に乗って行け。帰りはヨーロッパ廻り、3 月 31 日までにシベリヤ鉄道で帰ってくるように。」と言う命令を受けました。このとき先生は 1 週間しかない旅行に準備を考えたときに、本 当に可能であろうかと迷いました。日本船の指定を受けたものの、次に出るのは秩父丸で 1 月 16 日 でしたから、時間のロスを少なくするため 1 月 5 日発のアメリカ船籍の「プレジデントフーバー号」に乗船で きる許可を得て、予定通り船の人となりました。
 
外国旅行といえば、今日では航空機を利用するのが当たり前ですが、当時はそのような交通手段はなく すべてが客船によるものでした。ですから外国に旅行するのは「洋行」を言われていました。 この項では約 2 週間にわたる客船内での生活は、即英会話による生活環境でしたから、大いに勉強に なり、サンフランシスコ上陸の心の準備が出来たと書いておられます。先にも書きましたように、1 等船客 ただ一人の日本人であったことから、他の船客から大変興味をもたれたと書いています。 この章の最後に、サンフランシスコ入港前に船内で入国審査が行われ、その後接岸すると出迎えの人達 が沢山波止場に来ていた情景を書かれています。

ここを読んで私は、最初に訪日した時もシベリヤ経由でナホトカから横浜に、当時ソ連船籍の船で 接岸したとき、菊谷先生は私を出迎えてくださいましたが、多分先生は初航海の様子を思い出さ れていたに違いありません。
 
この本の中には会話の内容まで詳細に書かれていて、読む人を昨日起こったように書いているのではないかとの錯覚を覚えさせます。それは菊谷先生の記憶力もさることながら、先生は毎日詳細な日記を書いて おられ、それをもとに昔日を思い出されたのでしょう。
 

この様にまめに記録をされる先生ですから、検見川送信所在籍時代にも毎日の業務を記録されていまし。しかしそれらは軍事秘密だとのことで、敗戦間もなくアメリカ軍の手に落ちないように全部焼却さ れたのはとても残念だったと書いておられます。

何度かミュンヘンに来られた時は、先生はいつもノートブックを持っておられ、詳細にその日の出来事を書 かれていたことを思い出しました。それがこの本の執筆の基盤になったのでしょう。 書庫の一隅にあったこの本を再び読み返して、先生のある日を思い出しながらこの「書庫に中から」を書 きました。
 
最後になりますが、私が菊谷先生と知り合いになることが出来たのは、1950 年代の半ば頃、私が勤務し ていた東京中目黒の Y 社研究所に、当時芝浦工業大学の電気工学科教授として、学生 2 名を連れ てこられたのが最初でした。その後私はドイツに渡り、菊谷先生も度々ドイツに来られて再会を果たし親 交を深めました。考えてみれば、私のような一介のエンジ二アを相手に大変長いお付き合いをさせていただき感謝しています。

菊谷先生については別項で詳述するつもりで準備をしています。

 
 
壱岐邦彦 DF2CW

 

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