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パイオニアが語る

モービルハム草創期 1953~1963

付録:JMHC会報・No.1~No.5 PDF 、会員名簿 & 歴代記念写真

約50年前の1959年10月、JA1YF/石川源光さん(SK)、JA1OS/柴田俊生さん(SK),JA1AC/村井洪さん(SK)の音頭で「モービルハムクラブ」=MHCが誕生しました。51MHz帯FMモードを使った本格的なモービルハムの登場です。
 

当時の無線機はRT‐70、RT‐66、,67、68、PRC‐6~10、BC‐1000、BC‐1335、VRC‐2、FRC‐20などの米軍からの放出品がほとんどで、中でもRT‐70が圧倒的多数を占めました。出力電力は0.5Wと小出力のため送信管 2E24、6146、829Bなどでブースターを製作して、DC‐DCコンバーターやバイブレーター、ロータリーコンバーターなどでB電圧を供給しました。

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PRC‐6で交信中のJA1DWI/山田豊雄さん(SK)。(1960年頃)

車はMHCの名簿から拾い上げるとダットサン、プリンス、オースチン、ルノー、スバル360、ダッヂ、,ヒルマン、MG、フォード、オペルなど、往時を偲ぶ名車がズラリ並んでいます。MHCは後にJMHC(Japan Mobile Ham Club)日本モービルハムクラブと名称を変えてモービルハムの爆発的な普及の原動力となりました。

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JA1DWI/山田豊雄さんのコリンズKWM‐2を搭載したモービルシャック。 (1962年頃)

JMHC 日本モービルハムクラブ

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米軍放出品のRT‐70(47MHz~58.4MHz)車載用FM送受信機。JA1EQI/藤田進さん所蔵

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PRC‐10(38~54.9MHz)車載小型FM送受信機。JA1AOU/近藤栄一さん所蔵

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JMHCが企画した51MHz FMトランシーバー・キットの開発者JA1AQA/渋谷さん。

やがてハイテク最前線はトランジスタに移り、JMHC東京の有志は50MHzトランシーバーの基板を完成しました。 この頃、第1回全国大会(昭和41年8月20日、蒲郡)があり、この基板を持って参加し、入手希望の予約を取りメーカー品より安かったので注文が殺到しました。組み立ては市島徳一(故人・JA1GNQ)さん、渋谷昇三(JA1AQA/JA1FFY)さんが一晩で組み上げ、近藤栄一(JA1AOU)さんは、「いつも運び屋だった」と当時を懐かしく振り返っています。
 
BC‐1000は周波数の上限が48MHz、51MHzに変更するには、同調回路のチタコンを減らすと52MHzまで簡単に上げられました。感度がいまいちなので受信トップの1T4の代わりに6AK5に入れ替えたら結果は上々でした。もちろんフィラメント回路に30オームを挿入して6AK5のヒーターに対応したのはいうまでもありません。間もなくディスクリの1A3が断線したので1N34を代用して修復。これは柴田俊生(JA1OS、故人)さんが語る苦心談です。

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JMHCが編集・執筆した無線と実験の増刊号「モービル・移動無線の技術」誠文堂新光社刊 と「'72‐'73JMHC/モービルハムコールブック」電波実験社刊を所蔵するJA1ID/倉本さん(SK)。

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ヒルマンのリアバンパーに51MHzの1/4波長(1.5m)ステンレスホイップを装着しています。

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ヒルマンのハンドル右のスペースにRT‐70をセッティングしたモービル局。JA1ID/倉本次彦さん。

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携帯用小型トランシーバPRC‐6で通信中のカッコいい姿はJA1ID,倉本次彦さん。

1962年、JARLは各バンドに非常通信周波数を指定しました。FM:29.0~29.2MHzと51.0~51.2MHz、AM:28.1~28.3MHzと50.4MHz~50.6MHz。「非常通信の行われている時にこれらの周波数内で無駄なQSOをしないように」と申し合わせています。
 
1961年、同グループは毎月のように<遠乗会>を楽しみました。銚子(5月)、軽井沢(6月)、箱根(9月)、吾妻スカイライン(10月)、1962年1月(鎌倉・江ノ島)、3月(水戸)……ザッという音ともにスケルチが開いてFM特有のクリアーな音声が飛び込んでくる。車とアマチュア無線の楽しさを倍増したモービルハムの原点がここにありました。交通情報のやり取りにはじまり、見知らぬ土地の案内、旅館の手配までハム仲間は友情に満ちていました。

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JA1HM/林秀夫さんのQSLカード。

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ルノーと4分の1波長のホイップをにぎるJA1HM/林さん。

自動車とアマチュア無線をドッキングしたモービルハムの仲間たちは、クラブ組織を東京・城南(JA1HX)、城西(JA1YF)、城東(JA1AEW)、三多摩(JA1JTB)、横浜(JA1BLN)、地方区(JA3RF)に分けてそれぞれに責任者をおいたのが後にJMHCを冠したクラブが誕生するきっかけになりました。  同年4月の総会で周波数偏移を討議して「JMHCの規格として2MHz台のクリスタルを24逓倍して±15kHzの周波数偏移を得る」と決定しました。

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JA1GW、日比五郎さん。タクシー無線改造機をセドリックに搭載。

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タクシー無線の払い下げ品を改造しました。

この頃、車載無線機の花形だった米軍放出品が品不足となり、これに変ってタクシー無線の払い下げ品が各地に出回りはじめました。JMHCメンバーの搭載機種別使用率で、70%以上の高率を示したナショナル製のFM‐60‐10、周波数は54MHz~62MHzあるいは62MHz~68MHz用の2種類で水晶制御周波数変調方式の無線機でした。 1963年9月、JMHCはこれまでの51MHz 1チャンネルからサブチャンネルに51.2MHzおよび54MHz付近を提案しました。いよいよ多チャンネル化と全国的な普及に拍車が掛かりました。(終わり)

付録:JMHC会報 

アンカー 1

ダウンロードしてプリント&製本すると、60年前のJMHCの会報が再現できます。

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表紙をクリックしてご覧になれます。

JMHC 会報 No.1

(1961年9月16日発行)

今からおよそ60年前、モービルハムの先駆者たちが発行した歴史的な「JMHC会報」No.1 をPDFでご覧に入れます。
 

コンテンツは[巻頭言] JA1YF 石川源光氏、JA1OS 柴田俊生氏、[モービルハムクラブの現状] と[ヘイロウ、アンテナの実験] JA1DWI 山田豊雄氏が執筆しておられる。  B5判、24ページ、1色刷り (提供:JA1AT)

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表紙をクリックしてご覧になれます。

JMHC 会報 No.2

(1961年12月3日発行)

「JMHC会報」No.2 のPDF版です。
 

[巻頭言] JA1DWI 山田豊雄氏、[BC-1000雑感] JA1OS 柴田俊生氏、 [車載用FM-AMアダプターの製作] JA1AT 横瀬 薫氏、「秋の吾妻スカイライン紀行」 JA1AOR 高野 茂氏。  B5判、24ページ、1色刷り (提供:JA1AT)

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表紙をクリックしてご覧になれます。

JMHC 会報 No.3

(1962年5月26日発行)

「JMHC会報」No.3 のPDF版です。

[巻頭言] JA1DWI 山田豊雄氏、[JMHC NEWS] 、 [アンテナ2題] A Home made Bumper Mount、簡単なグランドプレーンアンテナの建て方、「雲助行状記」 JA3RF 桑垣敬介氏、JMHC交換欄、 会員名簿。B5判、24ページ、1色刷り (提供:JA1AT)

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表紙をクリックしてご覧になれます。

JMHC 会報 No.4

(1962年9月23日発行)

「JMHC会報」No.4 のPDF版です。

[巻頭言] JA1DWI 山田豊雄氏、[JMHC NEWS] 、 [タクシー用無線機の紹介] 、「雲助行状記」 JA3RF 桑垣敬介氏、会員近況、JMHC交換欄、 会員名簿。B5判、24ページ、1色刷り (提供:JA1AT)

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表紙をクリックしてご覧になれます。

JMHC 会報 No.5

(1963年9月10日発行)

「JMHC会報」No.5 のPDF版です。
 

[巻頭言] JA1DWI 山田豊雄氏、[JMHC NEWS] 、 [2メーター用ターンスタイル型アンテナ] (訳)JA1DWI、「紀行文 7月納涼ドライブ」 JA1AOR 高野 茂氏、新入会員紹介。B5判、24ページ、1色刷り (提供:JA1AT)

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