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1983年12月30日、台湾台北市を観光で立ち寄った時の事、台湾で唯一のアマチュア局BV2A & BV2Bクラブ局に突撃取材を試みました。事前に所在や電話番号を調べておいたものの会える確約がないままホテルに入り、同行の中国語通訳に連絡を取ってもらうと訪問を快諾してくださいました。タクシーで夜道を急ぎBV2Aへと向かいました。


↑BV2A BV2Bを運用するTim Chen氏 1983年12月30日訪問時に撮影

突然の訪問にも関わらずにこやかな笑みをたたえて出迎えてくださったBV2A BV2BのTim Chen ティム・チェンさん。JA1FUYと同行のスタッフをシャックへ招き入れてくださいました。台湾唯一のクラブ局に興味津々、写真撮影の許可をいただきシャック全景、ティムさんを主役に免許状の果てまでシャッターを切りました。


1991年9月8日~12日、中国北京で開催のIARU(International Amateur Radio Union)Reg.3国際アマチュア無線連合第3地域総会の会場でティム・チェンさんに会うこととなりました。後年、中国福建省福州市のBY5RAの記念行事に参加のティム・チェンさんに再会する機会もあり、折に触れ親しい交流が続きました。

↑1983年12月30日 BV2A Tim Chen氏とアイボールQSO
↑1983年12月30日 BV2A Tim Chen氏とアイボールQSO
↑1983年12月30日訪問時BV2A, BV2Bのシャック
↑1983年12月30日訪問時BV2A, BV2Bのシャック
↑1991年9月8日、北京で開催のIARU Reg.3会議でアイボールQSO
↑1991年9月8日、北京で開催のIARU Reg.3会議でアイボールQSO
↑BV2A ティム・チェン氏(2006年2月22日SK)とJA1AN 原 昌三氏(2018年6月9日SK)
↑BV2A ティム・チェン氏(2006年2月22日SK)とJA1AN 原 昌三氏(2018年6月9日SK)

(JA1FUY/NV1J) 2025/01/28

 

JA1EYL 山田千鶴恵(やまだ ちづえ)さんが免許を取得されたのが1960年、夫の一夫さんもJA1EYMを同時に開局しておられます。当時ハムになられた動機を「新聞紙上でハムを知り自分も空で全国とお話がしてみたい。」同年10月見事に国家試験にパスされて11月に開局されました。


その後、山田さんは1957 年に JA1AEQ/阿部芙美さん、JA1YL/菅邦さん、JA0EC/小林きみさんが設立したJLRS(Japan Ladies Radio Society)へ入会し、後年、会長に就任した経歴を有します。


ここに掲げる写真は2010年4月3日、DF2CW(ex JA7HM)壱岐邦彦氏が率いるJAIG(Japanese radio Amateurs In Germany)ドイツ訪日団が東京にやってきて日本のハムと交流しました。この時JLRS 元会長のJA1EYL山田千鶴恵さんが歓迎の挨拶をしましたが、50年ぶりにホリゾンタルクラブで一緒だったJA1CVFとJA1FUYが山田さんと再会してDF2CW、JF1GUQを交えて撮った一枚がこれです。


↑左からJF1GUQ JA1CVF JA1EYL DF2CW JA1FUY 2010年4月3日、東京・上野精養軒にて撮影。

↑JA1EYL アイボールQSOカード
↑JA1EYL アイボールQSOカード

Horizontal Club 1961年5月号(N0.3)「主婦とHAM」を発表し、主婦のアマチュ無線への向き合い方を考察しておられますので、その記事を抜粋して参考に供します。


昨今のレジャーブームで主婦のレジャーの利用も数々あるが、ハム等井戸端会議や(お空の井戸端会議かも知れぬが)デパートめぐりに費やす時間を未知の世界開拓に当てるとはFBな事と自負し始めたが、お花や洋裁の如く、それによって身を立てる事も可能というのでなく、あくまで趣味と研究に止まるものであるから そこに限度があり主婦の趣味としては難しい点もあるが、仲間入りした上は多くの知識を得またたしなみたいものと皆様方の御指導ご理解をよろしく。(何だかPRみたい) OMの方々のお世話にならず故障の一つも直したい。より良きものを作りたいと本を読んでも独学では理解しにくく、気軽に行ける講習会でもあったら是非時間を作ってと念願していますが・・・・。


(JA1FUY/NV1J) 2025/01/23

 

JA1GW(ex J2IC) 日比五郎(ひび ごろう)さんにお目にかかったのは東京銀行本店勤務の村上 昭さん(JA1DOU)が主宰するハムグループに誘われて箱根・仙石原にある保養所にて、フィールドデ―コンテストに参加した時と覚えています。初対面の印象は戦前から活躍されたOMなのに気さくで温厚なお人柄に魅了されました。移動運用の合宿では真夜中に大涌谷(1,044m)へ上り、人気のない駐車場から51MHzFMを運用して東京都内の友人と交信を楽しみ、日中は芦ノ湖スカイライン、箱根スカイライン、伊豆スカイラインなど風光明媚なドライブを無線交信と共に満喫しました。


↑日比さんの車載機はタクシー無線の払い下げ品ナショナル製FM-60-10 (54MHz~62MHz)を51.00MHzに改造してニッサン・セドリックに搭載。 この頃、車載無線機の花形だった米軍放出品が品不足となり、これに代わりタクシー無線の払い下げ品が各地に出回りはじめました。日比さんは東京都足立区のご自宅から神奈川県箱根仙石原の東銀・保養所へ駆けつけました。保養所に到着すると休む間もなく、送受信の周波数に若干のずれや受信感度の低下に違和感を覚えて、無線機を車から降ろして点検・調整を始めたのですから、その熱心な姿が印象に残りました。


当時、JMHC(日本モービルハムクラブ)メンバーの搭載機種別使用率で、70%以上の高率を示したナショナル製のFM‐60‐10、周波数は54MHz~62MHzあるいは62MHz~68MHz用の2種類があり、水晶制御周波数変調方式の無線機でした。 1963年9月、JMHCはこれまでの51MHz 1チャンネルからサブチャンネルに51.2MHzを提案しました。これ以降、多チャンネル化と全国的なFMモードの普及に拍車が掛かりました。


↑東京銀行本店ハムグループの皆さん。左から3人目がJA1GW、右からJA1FUY、JA1DOU。51MHz FMを車載して箱根ターンパイクやスカイラインのドライブを楽しんだ。


JA1GW 日比さんのQSLカード
JA1GW 日比さんのQSLカード

日比さんは街の電気店を営む傍ら趣味のスキー滑りが嵩じてスポーツ店を開いたと聞きました。一方、JA1OS柴田俊生さんとJA1GW日比さんはJMHCの普及を目指して全国各地を回りモービルハムの普及に貢献しました。(JA1FUY/NV1J) 2025/01/16

 
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