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JA1FUYは1960年9月28日開局後に、初めて求めたコールブックがB6判の緑色の表紙で背幅4.5㎝の分厚い「1963年版日本アマチュア無線局名録」発行 CQ出版KK 1172頁、定価680円でした。 実はラジオ作りに熱中していた1955年(昭和30年)頃、JR中野駅近くの書店に立ち寄った際に[黒い表紙のアマチュア無線局名録]を見つけて即買い求め、アマチュア無線へのあこがれを抱きながら何度も見返し大切に所蔵しました。しかしながら、その局名録が、最近、行方不明になり、ここに披露できないのが残念でなりません。とりあえず私に取ってのお宝「1963年版局名録」を紹介することにします。


局名録は1頁に26局が収録されていますので総頁数1146頁ですから29,796 局、巻末の追加住所録146局を足して合計29,939局となります。正確さに欠ける計算ですが、おおよそ3万局が掲載されていると考えられます。つまりJA1FUYが開局当時の日本のアマチュア無線局数は2万から3万、当時の7Mc (メガサイクル、当時の表記)帯は今と違い100kc(キロサイクル)、ここに電信(A1)と電話(A3)の局がひしめきあい賑わっていました。


この局名録は個人情報が満載で局名・氏名・生年月日・使用周波数/電波型式・住所/電話番号・職業/勤務先、QSL蘭がありました。現在の会員局名録と違うのは資格の記載がないことです。今でも訃報記事を書くときに、生年月日を参照しています。


また、局名録に掲載の広告は当時のアマチュア無線界を知る貴重な資料となっています。表紙の裏(表2)はJVCケンウッドの前身「トリオ株式会社」で、14球通信型受信機JR-60型を筆頭に9R-59、TX-88Aの写真と共に「世界に躍進するTRIO」のキャッチコピーが目立ちます。球なしオールキット、完成品現金正価など懐かしいコピーが見られます。


1146-1147頁に㈱三田無線のDELICAディップメータと3.5Mc~28Mc A1 30W終段6146デラックス送信機ST-1B。1148頁にCOSMIC日本通機工業㈱のNM-202(変調器)、NT-201(送信機)、NP-203(電源装置)、NA-204(アンテナカプラー)。1149頁に㈱山七商店 RFパーツ、1151頁に米軍払い下げ品の稲電機商事、1153頁にトヨムラ電気商会 QRP-90オールバンド送信機など懐かしい通信機が登場します。


続く1154頁に極東電子㈱、姉妹店の三協特殊無線機も、1156頁にラックス㈱ LUX変調トランス、共働無線商会、サクタ無線電機株、東京ラジオデパート、IDEALケースの摂津金属工業㈱、タニー・ハムアンテナのロケットアンテナ㈱、パンザマストの藤城総業、メカニカルフィルタの国際電気㈱など、アマチュア無線界に参入の企業、販売店が連ね、電話級アマチュア無線技士の創設でアマチュア無線人口の爆発前夜の様子が見られます。


(JA1FUY/NV1J) 2023/03/25


「1963年版日本アマチュア無線局名録」発行 CQ出版㈱

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昭和40年(1965)頃、三菱コルト600のフロントトランクに福山電機工業の12BY7-6360ファイナル10W 51MHz FMトランシーバーを搭載しました。このトランシーバーはモービル機に特化したコントロール部を運転席に取り付けて多芯ケーブルで本体につなぎトランクに設置するタイプになります。コルト600は強制空冷4サイクル直列2気筒OHV594㏄ 25psのリアエンジンで、今の軽自動車より非力な普通自動車でした。

51MHz FM機は呼び出し周波数(メインチャンネルともいう)51.00MHzとサブチャンネルの2CHのみ。モータリゼーションの加速と共にモービルハムが増えてきて、サブCHが一つでは使いにくくなってきました。チャンネルの切り替えはコントロール部のトグルスイッチでサブCHに切り替える方式なので、多チャンネル化を迫られて、本体にロータリースイッチをつけて複数のXtal(水晶発振子)を切り替える改造に着手しました。


手元で操作できるサブチャンネルは1CHのみですから他のCHを指定されると、車を止めてトランクを開けて本体のロータリーSWを回して運転席に戻ります。一連の行動を素早く行うので手元でCHを切り替えているように見えるところがミソです。CH増設に興味を持たれたのが、のちに「VK1ARAのワンウェーラグチュー」で全国を沸かせたJA1RHL荒大助さんでした。交信中に「改造が見たい 」とリクエストされ、青梅街道の天沼陸橋(JR荻窪駅付近)で車を止めてアイボールQSOした思い出が蘇ります。


その荒さんが「51メガFMは 50メガAMやHF帯とは全く違った雰囲気で楽しかったですね!Eスポは発生するし、インターネットの一般化やスマホの登場など、SFの世界だったあの60年代後半、自分の車から手軽に、近くや遠くの異業種&異世代交流的な無線仲間や初めての皆さんと快適に交信できるのもたまらない魅力でした。」と述懐しておられます。 因みにモービルアンテナは4分の1波長、1.5mのステンレスホイップをリアバンパーに取り付けて颯爽と走行しました。

(JA1FUY/NV1J) 2023/03/18


昭和40年(1965)頃のJA1FUY 51MHz FMモービル局

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  • 執筆者の写真JA1FUY/NV1J


私が開局した1960年ころは胸を張って門標(コールサイン)を掲げていましたし、1965年、モービルハムを始めた時も三菱コルト600のリアウインドウにコールサインを貼りつけて1.5mのステンレスホイップアンテナをなびかせて走り回っていました。 30年くらい前に東京都東村山市から埼玉県所沢市に移り住んだ頃、玄関付近の門票板(コールサイン)を見たご近所の方が「お宅に外人さんがいらっしゃるの?」と言われて苦笑したことがありました。外国人の名前に見えたのでしょうね。1960年代から使い続けたこの門標板も家の建て替えと共に取り外して部品庫へ納めて、最近まで保管したことすら忘れていました。


日本のアマチュア無線局数は平成7年(1995)の130万局をピークに、令和5年(2023)1月のアマチュア無線局が約百万局減372,124局(無線局統計情報)となりました。衰退の最大の原因として「携帯電話の普及」が挙げられるは間違いないとしても、多くの若者がアマチュア無線に興味を示さなくなったのは事実です。


コールサインを記した門標を掲げない、モービルハムがコールサインを掲げない風潮と何かが連動していないか、近年、個人情報を秘匿する傾向に連動していないか、明確な答えが見つからないのが実情です。


因みに、JARLから会員(正員・社団会員)限定の「門標板・会員バッジ」が販売されているのをご存じでしょうか。門標が315円(税込)、送料84円と手軽に入手できます。ほかに資格別門標板(1アマ黄色、2アマ緑色、3アマ青色、4アマ橙色)があり、500円の定額小為替と無線従事者免許証のコピー、コールサイン、住所、氏名、電話番号を記して郵便で申し込むと注文から1か月~1か月半で届きます。


(JA1FUY/NV1J) 2023/03/10



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