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個人による無線科学の学術研究や機器に関する実験のための施設、いわゆるアマチュア無線が法的に最初に許可されたのは1922年(大正11年)と言われています。長野県岡谷市天王町の生糸製造業、林太郎氏はJ2CGを昭和 6 年(1931)9 月 15 日 開局しました。同氏は明治 38 年 (1905)7 月 5 日生まれ、昭和 6 年(1931 )4 月 3 日、JARL 第1回全国大会に出席しておられ、昭和 54 年(1979)没しました。


そのJ2CG 林太郎氏(1931-1979)の遺品の一部を Yahooオークションで落札された岩岡実氏(JG1AKM)から「QRA BOOK」 「QSL カード」 「戦前の JARL NEWS」など 貴重な資料数点を QTC-Japan.com に寄贈いただきました。最近、その中から古のARRL会員証を発見しましたので、ここに披露することとしました。


古のARRL会員証はセピア色に変っていましたが、格調高いデザインをそのままに「1930 年 12 月 31 日までに支払われた会費とQSTの購読」が記されており、ARRL初代会長のW1AW Hiram Percy Maxim(1869~1936)の署名が確認できます。QSTは1915年に創刊されましたが、林太郎氏は1930年に購読会員となっておられ、QSTの定期購読を通じて米国のアマチュア無線事情・最新技術に精通していたと推察されます。

1930年1月17日発行のARRL会員証 次に最近のARRL会員証を掲げておきますので参考にしてください。古の会員証がMEMBERSHIP CERTIFICATE、現代はCertificate of Membershipとなっていますが、どちらも違いがないと思われます。

Rick Roderick,K5UR会長 署名の2023年12月31日まで有効なARRL会員証 (JA1FUY/NV1J) 2003/04/03

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JA1FUYは1960年9月28日開局後に、初めて求めたコールブックがB6判の緑色の表紙で背幅4.5㎝の分厚い「1963年版日本アマチュア無線局名録」発行 CQ出版KK 1172頁、定価680円でした。 実はラジオ作りに熱中していた1955年(昭和30年)頃、JR中野駅近くの書店に立ち寄った際に[黒い表紙のアマチュア無線局名録]を見つけて即買い求め、アマチュア無線へのあこがれを抱きながら何度も見返し大切に所蔵しました。しかしながら、その局名録が、最近、行方不明になり、ここに披露できないのが残念でなりません。とりあえず私に取ってのお宝「1963年版局名録」を紹介することにします。


局名録は1頁に26局が収録されていますので総頁数1146頁ですから29,796 局、巻末の追加住所録146局を足して合計29,939局となります。正確さに欠ける計算ですが、おおよそ3万局が掲載されていると考えられます。つまりJA1FUYが開局当時の日本のアマチュア無線局数は2万から3万、当時の7Mc (メガサイクル、当時の表記)帯は今と違い100kc(キロサイクル)、ここに電信(A1)と電話(A3)の局がひしめきあい賑わっていました。


この局名録は個人情報が満載で局名・氏名・生年月日・使用周波数/電波型式・住所/電話番号・職業/勤務先、QSL蘭がありました。現在の会員局名録と違うのは資格の記載がないことです。今でも訃報記事を書くときに、生年月日を参照しています。


また、局名録に掲載の広告は当時のアマチュア無線界を知る貴重な資料となっています。表紙の裏(表2)はJVCケンウッドの前身「トリオ株式会社」で、14球通信型受信機JR-60型を筆頭に9R-59、TX-88Aの写真と共に「世界に躍進するTRIO」のキャッチコピーが目立ちます。球なしオールキット、完成品現金正価など懐かしいコピーが見られます。


1146-1147頁に㈱三田無線のDELICAディップメータと3.5Mc~28Mc A1 30W終段6146デラックス送信機ST-1B。1148頁にCOSMIC日本通機工業㈱のNM-202(変調器)、NT-201(送信機)、NP-203(電源装置)、NA-204(アンテナカプラー)。1149頁に㈱山七商店 RFパーツ、1151頁に米軍払い下げ品の稲電機商事、1153頁にトヨムラ電気商会 QRP-90オールバンド送信機など懐かしい通信機が登場します。


続く1154頁に極東電子㈱、姉妹店の三協特殊無線機も、1156頁にラックス㈱ LUX変調トランス、共働無線商会、サクタ無線電機株、東京ラジオデパート、IDEALケースの摂津金属工業㈱、タニー・ハムアンテナのロケットアンテナ㈱、パンザマストの藤城総業、メカニカルフィルタの国際電気㈱など、アマチュア無線界に参入の企業、販売店が連ね、電話級アマチュア無線技士の創設でアマチュア無線人口の爆発前夜の様子が見られます。


(JA1FUY/NV1J) 2023/03/25


「1963年版日本アマチュア無線局名録」発行 CQ出版㈱

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昭和40年(1965)頃、三菱コルト600のフロントトランクに福山電機工業の12BY7-6360ファイナル10W 51MHz FMトランシーバーを搭載しました。このトランシーバーはモービル機に特化したコントロール部を運転席に取り付けて多芯ケーブルで本体につなぎトランクに設置するタイプになります。コルト600は強制空冷4サイクル直列2気筒OHV594㏄ 25psのリアエンジンで、今の軽自動車より非力な普通自動車でした。

51MHz FM機は呼び出し周波数(メインチャンネルともいう)51.00MHzとサブチャンネルの2CHのみ。モータリゼーションの加速と共にモービルハムが増えてきて、サブCHが一つでは使いにくくなってきました。チャンネルの切り替えはコントロール部のトグルスイッチでサブCHに切り替える方式なので、多チャンネル化を迫られて、本体にロータリースイッチをつけて複数のXtal(水晶発振子)を切り替える改造に着手しました。


手元で操作できるサブチャンネルは1CHのみですから他のCHを指定されると、車を止めてトランクを開けて本体のロータリーSWを回して運転席に戻ります。一連の行動を素早く行うので手元でCHを切り替えているように見えるところがミソです。CH増設に興味を持たれたのが、のちに「VK1ARAのワンウェーラグチュー」で全国を沸かせたJA1RHL荒大助さんでした。交信中に「改造が見たい 」とリクエストされ、青梅街道の天沼陸橋(JR荻窪駅付近)で車を止めてアイボールQSOした思い出が蘇ります。


その荒さんが「51メガFMは 50メガAMやHF帯とは全く違った雰囲気で楽しかったですね!Eスポは発生するし、インターネットの一般化やスマホの登場など、SFの世界だったあの60年代後半、自分の車から手軽に、近くや遠くの異業種&異世代交流的な無線仲間や初めての皆さんと快適に交信できるのもたまらない魅力でした。」と述懐しておられます。 因みにモービルアンテナは4分の1波長、1.5mのステンレスホイップをリアバンパーに取り付けて颯爽と走行しました。

(JA1FUY/NV1J) 2023/03/18


昭和40年(1965)頃のJA1FUY 51MHz FMモービル局

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