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「デイトンハムベンション2005」の前夜、Let’s get together @ Dayton (デイトンを一緒に!) のお仲間30名余が市内のイタリア料理店に集まりました。参加者のほとんどの名札に米国のコールサインが記されて、日本のコールサインのみは私を含めて少数派でした。それも一目でバニティコールサインとわかる上級者のコールサインがまぶしく、いつかFCC試験に挑戦してみたいと思いました。

因みに名札(Name Plate)は板状のプラスティックまたは紙に名前を表示したもので、アマチュア無線界ではさらにコールサインを加えて、コールサインプレート(Callsign Plate)、あるいはネームバッジ(Name Badges)、コールサインバッジ(Callsign Badges)と呼びます。


写真の上段JA1FUYはARRL(American Radio Relay League)のライフメンバー(Life Member)のコールサインプレートです。ARRLライフメンバーの友人がコールサインプレートを作成した時に、私(JA1FUY)の分も一緒に作ってくれたもので、私はライフメンバーではありません。ただQSTの購読のために3年ごとに会費を振り込みARRLの会員となっていますので、このコールサインプレートを無駄にすることなく使っております。

写真の下段に示すNV1Jコールサインプレートは、ハムンションに出店していたThe SingMan-NV5Aにて作った一枚です。


2005年11月3日、ARRL/VEC Tokyo VE TeamでFCCの試験を受けました。JR巣鴨駅から国道17号を10分ほど歩くととげぬき地蔵で有名な高岩寺があり、隣接する共同計画ビル8階のJARDハム教室が試験会場でした。


当時はモールス・コードの試験があり、約5分間の試験が行われました。書き取った受信文を見ながら答えを答案用紙に書き、手を上げてVEに答案を渡して判定を待ちます。しばらくして「合格」と告げられエレメント2へ、そしてエレメント3へ進みGENERAL級に合格してKE7FSSに。翌2006年3月4日、VEC TokyoにてEXTRA級を受けて、バニティコールサインのNV1Jとなりました。


以上、コールサインプレートのエピソードを披露しました。

(JA1FUY/NV1J) 2023/04/08)


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個人による無線科学の学術研究や機器に関する実験のための施設、いわゆるアマチュア無線が法的に最初に許可されたのは1922年(大正11年)と言われています。長野県岡谷市天王町の生糸製造業、林太郎氏はJ2CGを昭和 6 年(1931)9 月 15 日 開局しました。同氏は明治 38 年 (1905)7 月 5 日生まれ、昭和 6 年(1931 )4 月 3 日、JARL 第1回全国大会に出席しておられ、昭和 54 年(1979)没しました。


そのJ2CG 林太郎氏(1931-1979)の遺品の一部を Yahooオークションで落札された岩岡実氏(JG1AKM)から「QRA BOOK」 「QSL カード」 「戦前の JARL NEWS」など 貴重な資料数点を QTC-Japan.com に寄贈いただきました。最近、その中から古のARRL会員証を発見しましたので、ここに披露することとしました。


古のARRL会員証はセピア色に変っていましたが、格調高いデザインをそのままに「1930 年 12 月 31 日までに支払われた会費とQSTの購読」が記されており、ARRL初代会長のW1AW Hiram Percy Maxim(1869~1936)の署名が確認できます。QSTは1915年に創刊されましたが、林太郎氏は1930年に購読会員となっておられ、QSTの定期購読を通じて米国のアマチュア無線事情・最新技術に精通していたと推察されます。

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1930年1月17日発行のARRL会員証 次に最近のARRL会員証を掲げておきますので参考にしてください。古の会員証がMEMBERSHIP CERTIFICATE、現代はCertificate of Membershipとなっていますが、どちらも違いがないと思われます。

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Rick Roderick,K5UR会長 署名の2023年12月31日まで有効なARRL会員証 (JA1FUY/NV1J) 2003/04/03

 

JA1FUYは1960年9月28日開局後に、初めて求めたコールブックがB6判の緑色の表紙で背幅4.5㎝の分厚い「1963年版日本アマチュア無線局名録」発行 CQ出版KK 1172頁、定価680円でした。 実はラジオ作りに熱中していた1955年(昭和30年)頃、JR中野駅近くの書店に立ち寄った際に[黒い表紙のアマチュア無線局名録]を見つけて即買い求め、アマチュア無線へのあこがれを抱きながら何度も見返し大切に所蔵しました。しかしながら、その局名録が、最近、行方不明になり、ここに披露できないのが残念でなりません。とりあえず私に取ってのお宝「1963年版局名録」を紹介することにします。


局名録は1頁に26局が収録されていますので総頁数1146頁ですから29,796 局、巻末の追加住所録146局を足して合計29,939局となります。正確さに欠ける計算ですが、おおよそ3万局が掲載されていると考えられます。つまりJA1FUYが開局当時の日本のアマチュア無線局数は2万から3万、当時の7Mc (メガサイクル、当時の表記)帯は今と違い100kc(キロサイクル)、ここに電信(A1)と電話(A3)の局がひしめきあい賑わっていました。


この局名録は個人情報が満載で局名・氏名・生年月日・使用周波数/電波型式・住所/電話番号・職業/勤務先、QSL蘭がありました。現在の会員局名録と違うのは資格の記載がないことです。今でも訃報記事を書くときに、生年月日を参照しています。


また、局名録に掲載の広告は当時のアマチュア無線界を知る貴重な資料となっています。表紙の裏(表2)はJVCケンウッドの前身「トリオ株式会社」で、14球通信型受信機JR-60型を筆頭に9R-59、TX-88Aの写真と共に「世界に躍進するTRIO」のキャッチコピーが目立ちます。球なしオールキット、完成品現金正価など懐かしいコピーが見られます。


1146-1147頁に㈱三田無線のDELICAディップメータと3.5Mc~28Mc A1 30W終段6146デラックス送信機ST-1B。1148頁にCOSMIC日本通機工業㈱のNM-202(変調器)、NT-201(送信機)、NP-203(電源装置)、NA-204(アンテナカプラー)。1149頁に㈱山七商店 RFパーツ、1151頁に米軍払い下げ品の稲電機商事、1153頁にトヨムラ電気商会 QRP-90オールバンド送信機など懐かしい通信機が登場します。


続く1154頁に極東電子㈱、姉妹店の三協特殊無線機も、1156頁にラックス㈱ LUX変調トランス、共働無線商会、サクタ無線電機株、東京ラジオデパート、IDEALケースの摂津金属工業㈱、タニー・ハムアンテナのロケットアンテナ㈱、パンザマストの藤城総業、メカニカルフィルタの国際電気㈱など、アマチュア無線界に参入の企業、販売店が連ね、電話級アマチュア無線技士の創設でアマチュア無線人口の爆発前夜の様子が見られます。


(JA1FUY/NV1J) 2023/03/25


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「1963年版日本アマチュア無線局名録」発行 CQ出版㈱

 
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