オートダイン研究会の講演

オートダインの過去と現在(1)

折から長波帯の割り当てを背景に「オートダイン」に注目される愛好家もおられ、再ブレークの気配を感じます。『オートダインに育てられ、オートダインに生きた』と吐露された岡本氏の珠玉の講演原稿(1993年2月2日)を公開しました。また、故人の梶井謙一氏(JA1FG)、柴田俊生氏(JA1OS)の在りし日の写真も収録しました。お見逃しのなきように。de JA1FUY

 解説:JA1CA 岡本 次雄 制作:JA1HQG 有坂 芳雄  資料提供:JA1AR 木賀 忠雄

相談コーナーで左からJA1AR、JA1AN、JA1CA、JI1HDO

No.1 オートダインの過去と現在についてお話しさせていただきます。
 
No.2 解説はJA1CA 岡本次雄、制作:JA1HQG 有坂芳雄でございます。なお、資料の多くをJA1AR 木賀忠雄さんにご提供いただきました。

No.3 さて、オートダインの発明者は誰か?わたくしも最近まではアームストロングだと思っておりました。事実、大正時代にはオートダイン(当時は再生式と呼ばれておりましたが)をオートダイン方式と呼んでおりました。

彼の無線工学における功績は誠に偉大でありましたが晩年は不幸でありまして、アパートの3階から飛び降りて自殺しました。

No.4  これはアームストロングの肖像です。陸軍の軍服を着ております。

アームストロング伝

1890年12月18日 ニューヨーク市に生まれる。コロンビア大学卒 陸軍軍人となるもあまりFBならず少佐で退役となる。

1918年    スーパーヘテロダイン方式を発明。
1919年    スーパーヘテロダイン方式を発明。
1928年    FM変調方式を発明。
1935年    FM変調方式の特許確定。
1954年2月 ニューヨーク市にて死去。うつ病による自殺と思われる。

No.5 しかし、このような経過をたどりまして特許権は三極管の発明者ドフォーレに決定いたしました。それにしてもアームストロングとドフォーレの組み合わせは世紀の好取組といわざるを得ません。

この決定まで実に20年を要したのですが、現在W(米国)でもJAのように特許は洗願主義にしようとする動きがあります。

No.6  これはドフォーレ肖像です。

                                                                                                    

ドフォーレ3極管を発明 (1909年)
 
この応用として、アームストロング・ドフォーレ・マイナス(テレフンケン)ラングミュア(GE)は3極管の発振作用の研究をしていた。      
1914年秋    アームストロング 再生受信方式の特許を申請。
この申請はOKとなったが、これに対してドフォーレは1915年の古い実験ノートを提出、異義申立てを行った。
1917年    アームストロングの勝。
1928年    最高裁でドフォーレの勝になる。
1934年    最終的にアームストロングの敗訴が決定した

No.7  さて、わが国にオートダインが渡来したのはいつごろでしょうか。 これは現在では定かでないのですが画面のドイツ、テレフンケンのE351短波受信機には1917年7月製と記してあります。

1917年といえば大正6年で実に75年前となります。写真はそのパネル面です。

No.8  内部構造を画面に示します。これは旧陸軍の無線電信調査会が大正時代に調査用に買入れたもので、終戦後、故JA1LR内山さんよりJARLに寄贈されたものです。

このセットに、真空管は付いていなかったのですが原会長(JA1AN)がドイツのDARCに行った際、世界的珍品であるといわれてもらっと来たものです。

No.9 回路はレイナーツ方式とよばれる電磁結合容量再生式です。これは機体内にあった回路用です。

各機種は75年を経た今日でもスムースに動作いたします。20mと300mの2波長帯をプラグインコイルで受信いたしました。

No.10  わが国の大衆科学系雑誌にもオートダインの記事が現れました。これは新光社発行、科学画報 大正13年5月号に掲載されたものです。わが国でラジオ放送が始まる1年前のことです。大衆的な雑誌ですからここに示すように実体配線図で表しています。

No.11  回路図で書きますと、このようになります。グリッドリークのないのは当時はソフトバルブでしたから管内の電離作用によったのだと思います。L、Cより考えて受信周波数は400~1000kHz位と思われますが、わざと書いてありません。再生はフィラメント電圧を加減して調整したようです。

No.12 大正14年ラジオ放送開始直前にUX201Aが完成いたしました。これはハードバルブでトリエットタングステンのフィラメントを使っており、初めて真空管らしい真空管が出来たといえましょう。規格は 
Ef=5.0V If=0.25A 
Ep=90V Ip=2.5mA   
Gm=0.72m μ=8 
γp=11kΩ で
Cgp=8.5pF もありました。

昭和4年頃までは真空管といえばこの201Aを指すものとされていました。大正14年1月のサイモトロン(東京電気)製は金10円と広告に出ております。今日の価値に換算すると約3万円となります。隔世の感とは正にこのことでしょう。画面の4行目の201Aというのがそれです。

No.13  これは大正末期の船舶用オートダインの回路図です。電磁結合再生式を使用しております。

当時の規則により12~600kHzの受信が必要とされましたので4組のプラグインコイルを使用いたしました。

No.14  これはハネカムコイルを使用した例の図です。

このコイルは受信機内部でなく筐体の上部に設置し、このようにコイル台でアンテナの結合度、再生度を調整いたしました。当時、この回路を3回路再生方式と呼ばれました。

No.15  短波の受信は戦前において禁止されていたようにいわれておりますが、実はそうではありません。大正14年3月ラジオ放送開始当時は200m以下の受信も差支えなかったのです。この時代、逓信当局は短波などに眼中になかったのでしょう。 ところが、当局は短波の実用化に驚き昭和2年(1927年)3月29日、電業第579号をもって200m以下の受信を禁止しました。戦前にも2カ年間の受信合法の時代がありました。
 

したがって、このような記事も何ら差支えなかったのです。 これは科学画報 大正15年5月号に出た記事で、当時は中はという用語がなく、放送波を短波と呼んでおりましたから、現在の短波帯を超短波といっているのです。

回路はレイナーツ方式を使用しております。この頃はシールドという考えがなく、ボディエフェクトを避けるために画面のような長いシャフトで同調いたしました。

No.16 これは当時使用された短波プラグインコイルの一例です。電磁結合、容量再生用ですからアンテナの結合度だけを変えるようになっております。当時はバスケットコイルを使用しましたが、Qという考えが始まったのは昭和10年頃です。

No.17  ここで家庭用ラジオのオートダインの話に入ります。これはソレノイド型で日本無線電信電話株式会社(現在のJRC)のものです。大正14年3月のラジオ放送開始当時は鉱石式が多数でしたが、再生式は先ほどの船舶用のオートダインと同じの電磁結合再生式が用いられました。なお、戦前のラジオ周波数の割当ては550~1100kHzでした。

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